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ネタバレ率1%以下書評|『国宝』原作の壮大な魅力を深掘り

こんな方におすすめ

  • 極力ネタバレ無しで本作の魅力に触れてみたい
  • 登場人物の生き様に深く心を揺さぶられたい
  • 華やかな舞台裏に潜む、濃密な人間ドラマを味わいたい

この国の「美」と「業」はどこに宿っているのか。
その答えの一つがこの小説にある。
吉田修一氏超大作。

目次

署名:国宝 (上巻) 青春篇|国宝 (下巻) 花道篇
著者:吉田 修一
職業:小説家
出版社:朝日新聞出版
出版日:​2021年9月
ページ数:407ページ(上巻)|432ページ(下巻)
読了目安時間:約12〜14時間(上下合わせて)
その他:Kndle版(電子版)有り、Audible版有り

作者と本書の魅力

作者 吉田修一氏の世界を知る

まず初めに原作者の特徴や作品性についてご紹介できればと思います。

吉田修一氏とは

現代日本文学を代表する作家の一人で、読者の心に訴える深い物語と洗練された描写で知られています。1968年、長崎県に生まれ、社会人経験を経て1997年に『最後の息子』でデビュー。同作で文学界新人賞を受賞し、以降も多くの文学賞を受けるなど、日本文学界で揺るぎない地位を築いています。

文学観

吉田氏の文学には、日常生活の中に潜むドラマを掘り起こす力があります。彼は、登場人物の心情をリアルかつ丁寧に描くことで、読者に共感を生み出します。特に、人間の「弱さ」や「矛盾」を真正面から捉え、それを文学として昇華させる技術は、他の作家にはない独自のものです。

また、彼の作品には、地元・長崎の影響が色濃く表れており、その土地ならではの風景描写や文化的背景が物語に深みを与えています。

映像化との親和性

吉田氏の文体は、風景や人の所作を描く際に、まるで映像のカメラワークのような緻密さと静謐さをもって描かれる。読者の脳裏に立ち上がる情景の鮮やかさは、文章という形式を超えて、まるで舞台を見ているような錯覚すら呼び起こす。

本書の魅力とは

人は時として、自らの手では抱えきれないものを背負わされる。

手に持った原作小説(上下巻)表紙
テーブルに並べて置いた原作小説(上下巻)表紙
原作小説(上巻・下巻)表紙

運命や才能という言葉で片付けてしまうには、あまりに過酷で、あまりに輝かしい。吉田氏の『国宝』を読んで、私が最初に感じたのは、そういう重さだった。何かに選ばれてしまった者の孤独。それは喜びと紙一重の場所にある。

この物語は歌舞伎役者として生きる立花喜久雄という男の、一代記である。
だが、そこに描かれているのは芸の道の厳しさだけではない。もっと人間の根っこにある何か、つまり、愛や友情、欲や誇り、そして、どうしようもなく滑稽で愛おしい人間の姿だ。ページをめくるたび、ひとりの男の生き様を背中で見つめているような錯覚に陥る。読者である私たちもまた、舞台の袖に立ち、静かに彼の演技を見守っているような感覚になる。

主要な登場人物達

立花喜久雄|たちばな きくお
主人公である喜久雄は、任侠の世界から歌舞伎界へと転身した異色の経歴を持つ男。幼少期の孤独や周囲の偏見に負けず、女形としての才能を開花させます。

大垣俊介|おおがき しゅんすけ
喜久雄のライバルであり、名門歌舞伎役者の血筋を引く俊介。家族の期待に応えるプレッシャーと闘いながら、喜久雄との友情と競争を育みます。

徳次|とくじ
喜久雄を支える付き人であり、彼の最も信頼できる存在。無償の献身が物語に感動を与えます。

小野川万菊|おのがわ まんぎく
長年女形として舞台に立ち続けた万菊は、役者の本質を体現する人物。

 

本の概要

喜久雄という存在について考える

立花喜久雄は、歌舞伎界の誰もが認める女形としての頂に立つ存在だ。

彼の美しさは伝説的で、同時に、その美しさが彼を蝕んでいく。あまりに美しいものは、それゆえに人を狂わせる。これは古今東西に共通する真理である。幼少期に父を亡くし、任侠の家系で育ち、やがて大阪の歌舞伎界に引き取られる。彼の人生は最初から一直線の成功譚ではない。裏切りと困難、師弟関係の厳しさ、同門のライバルとの競争。それらをくぐり抜け、喜久雄は役者として磨かれていく。

彼の背後には常に、闘いがある。それは他人との闘いというよりも、自分自身との葛藤だ。役を演じることとは、己を削ることであり、時には魂すら切り売りする作業である。一体、何を犠牲にすれば人は芸を極められるのか。その問いに答え続ける男の姿が、喜久雄なのだ。

語りの妙と文体の魔力

この作品を語るとき、語り口の独特さを外すわけにはいかない。文章は一見すると古風で芝居がかっている。だが読み進めるうちに、その調子こそが物語のリズムであり、呼吸なのだと分かってくる。物語の途中で語り部がこちらに目線を送り、次の展開を匂わせる。
これはただの小説ではない。

ある種の舞台であり、読者はその客席に座っている。しかし、ただ見物しているだけでは済まない。知らぬ間に心を持っていかれ、感情を引きずり込まれてしまう。文章は軽やかに見えて、実は深い。古風な語りと現代的な感覚が絶妙に交差する。そのバランス感覚が、吉田氏という作家の手腕である。

徳次という存在力

喜久雄の傍らにいる徳次という存在を忘れてはいけない。彼は付き人であり、兄貴分であり、ある意味では守護神でもある。徳次がいなければ、喜久雄の人生は途中で途切れていたかもしれない。彼の存在が、この物語に豊かな陰影を与えている。無骨で粗野に見えて、誰よりも優しい。彼の言動は粗野で直情的だが、行動のすべてが喜久雄への愛で貫かれている。

徳次の生き方には、一切の打算がない。彼はただ、自分が信じた男を支えたいという一念で動いている。その姿に、私たちは本物の忠誠というものの在り方を見る。彼の人生がどう着地するかを、私はずっと気にしていた。そして最後の数十ページで、ある種の感情が溢れた。あの場面こそが、本作の静かなクライマックスだったと今も思っている。

歌舞伎という鏡に映し出された人生

本作には多くの歌舞伎演目が登場する。『源氏物語』や『阿古屋』など、劇中劇のように物語に組み込まれている。これが単なる演目紹介にとどまらず、登場人物の内面や関係性を反映する鏡の役割を果たしている。

例えば、喜久雄が女形として演じる『阿古屋』には、彼のすべてが凝縮されている。舞台上の動きと、人生そのものが重なっていく。これは、演技が人生を超える瞬間でもある。歌舞伎に詳しくない人でも安心して読める構成になっている。専門用語や演目については自然に物語の中に溶け込んでおり、知識がなくても支障はない。むしろ、知らないからこそ、物語に浸りながら一緒に学べる喜びがある。

 

まとめ「『国宝』読後の余韻」

読み終えた瞬間、しばらく言葉を失った。
ページを閉じてもなお、心の奥に熱が残り、ひとりの人間の人生をまるごと体験したような余韻が続く。作品には数々の印象的な言葉が散りばめられているが、その真価はすぐには理解できない。日常のなかでふと蘇り、静かに胸を打つ。その残り方が、この作品の特別さを物語っている。

読書とは単なる娯楽を超えて、儀式のようであり、時に供養にも似る行為だと思う。『国宝』の読後感はまさにそれに近い。長く、濃く、重く、しかし同時に美しい。体力を要する大作でありながら、読了後には確かに「何かが残った」と感じられる。
これは歌舞伎を舞台にした物語であると同時に、人の生き様そのものを描いた文学であり、魂の記録だ。読む前と読んだあとで、自分の中の何かが少し変わっている──そんな体験をもたらしてくれる一冊である。

書籍・著者情報

署名:国宝 (上巻) 青春篇|国宝 (下巻) 花道篇
著者:吉田 修一
職業:小説家
出版社:朝日新聞出版
出版日:​2021年9月
ページ数:407ページ(上巻)|432ページ(下巻)
読了目安時間:約12〜14時間(上下合わせて)
その他:Kndle版(電子版)有り、Audible版有り
上巻概要

1964年元旦、客たちの抗争の渦中で、この国の宝となる役者は生まれた。男の名は、立花喜久雄。任の家に生まれながらも、その美貌を見初められ、上方歌舞伎の大名跡の一門へ。極道と梨園、生い立ちも才能も違う俊介と出会い、若き二人は芸の道に青春を捧げていく。

下巻概要

舞台、映画、テレビと芸能界の激変期を駆け抜け、数多の歓喜と絶望を享受しながらも、芝居だけに生きてきた男たち。血族との深い絆と軋み、スキャンダルと栄光、幾重もの倍頼と裏切り。芸の頂点へと登りつめ、命を賭してなお追い求める夢のかたちとはー。

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