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ネタバレ率1%以下書評『ほどなく、お別れです』“別れは点で打つ”という距離感の倫理

本記事はこんな方におすすめ

  • 極力ネタバレ無しで本作の魅力に触れてみたい
  • 重すぎない泣ける本を探している
  • 仕事小説としてのリアリティに関心がある

「ほどなく、お別れです」の表紙

意味深なタイトルだが、勘の良い方ならピンとくるだろう。
この本は、静かに語られ、確実に胸の内側を撫でてくる。
お葬式を題材にした小説と聞けば、読者は悲嘆の大波を覚悟するだろう。だが.....

本作は別の方法で来る。

大声で泣かせず、細部の所作で温度を整え、読者の呼吸をゆっくり回復させる。表層だけを撫でて「感動した」で閉じると、たぶん何も残らない。これは、別れを終止符ではなく生活へ戻るための点(区切り)として打ち直す技法の物語だ。私は通勤電車で読み始めて失敗した。涙は結果として落ちるタイプの本だと、数ページで悟ったからだ。シリーズ第1作。ファンタジーが得意でない私でも読めたのは、現場の倫理が地面になっていたからだ。

署名:ほどなく、お別れです
著者:長月天音 ながつき あまね
職業:小説家
著者情報:1977年、新潟県生まれ。大正大学文学部で日本語・日本文学を学ぶ。大学在学中に葬儀場で働いた体験があり、のちに夫の長期闘病と死別を経て、その現場感覚と喪失の実感を物語へ編み直した。2018年、『ほどなく、お別れです』で第19回小学館文庫小説賞を受賞して作家デビュー。飲食業での勤務経験など、生活に近い仕事の視点が作風の土台にある。
出版社:小学館(小学館文庫)
出版日:文庫 2022年7月6日
ページ数:288ページ(文庫)
読了目安時間:約5~6時間
記事の内容一覧

ほっこりするのに軽くない「涙が“副作用”になる仕組み」

葬儀小説と身構えると肩透かしを食う。派手な山や過剰な演出はほぼない。代わりに、花の色の選び直し、遺影の角度、沈黙の長さ、声の高さといった微細な調整が積み重なる。読者の記憶の引き出しは、そういう細部でひょいと開く。だから涙は目的ではなく副作用として落ちる。

甘い話ではないのに「ほっこり」と言いたくなるのは、悲しみの輪郭を鈍らせるのではなく、温度管理がうまいからだ。
タイトルの「ほどなく」は、式次第の定型句に見えて、読了後は生活へ戻る許可の合図のように響く。終わらせるためではなく、続けるために区切る。この転換が読後の体温を決めている。

 

登場人物紹介

主要な登場人物達をご紹介。

清水 美空 しみず みそら
都内の大学に通う学生。就活で足踏みし、かつて働いていた葬儀場「坂東会館」に戻る。場の空気を崩さない聴き方ができ、細部の所作から人の心の揺れを読むタイプ。物語では、“ある能力”に気づいた周囲から声がかかり、訳ありの葬儀に深く関わっていく視点の軸になる。←設定の核心はここにある。

漆原 うるしばら
坂東会館の葬祭ディレクター。毒舌気味で妥協はしないが、式の意味を損なわないための配慮は徹底している。僧侶の里見と組み、事情を抱えた葬儀を多く担当する役回り。人物像について公式は「男性スタッフ」「亡くなった人と遺族の思いを繋ごうと心を尽くす葬祭ディレクター」と記すにとどめるが、その“距離の取り方”が物語の倫理観を牽引する。

里見 道生 さとみ どうしょう
坂東会館と縁のある寺院「光照寺」の若い僧侶。穏やかな物腰で、葬儀の場に流れる温度を一段やわらげる存在。漆原と組んで現場に入ることが多く、美空と同質の感受性を備える人物として描かれる。

舞台/組織「坂東会館」
東京スカイツリー近くにある葬儀場。美空が働く現場であり、漆原・里見が関わる“訳ありの葬儀”の多くがここを起点に動く。作品の空気はこの会館の段取りと所作に強く支えられている。

 

主題

現場のリアリティと見える感受性「二本のレールのバランス」

舞台は東京スカイツリー近くの葬儀会館「坂東会館」。
連作短編の構えで、各話は独立した小さな山を持つ。霊感の演出は抑制的で、比率で言えばお仕事小説寄り。自死や事故に触れる場面もあるが描写は誠実で煽らない。シリーズの第1作として入口は広い。

段取りと所作の積み重ねが遺族の呼吸を整える。ここに超常的な気配が差し込まれる設計は、好みを分けるだろう。私は懐疑寄りだが今回に限っては成立していると感じた。理由は単純で、現場の職能倫理が地面になっているからだ。霊感が物語を引っ張り過ぎない。むしろ、言葉にできない“残り香”を受け止める補助線として機能する。

段取りが感情を冷やすのではなく、支えるという逆説も良い。儀式は形のための形ではなく、意味のための形に戻される。結果、現実と気配という二本のレールが同じ温度で走り、読者は生者と故人の視点を自然に往復できる。

「耳と背中と微笑み」美空, 漆原, 里見の距離感の倫理

この小説の人物は、決め台詞で魅せるタイプではない。所作で効いてくる。
美空は相手の沈黙を急がせない“耳”。問いで追い詰めず、選択肢だけを静かに置く。漆原は即答を避け、利点とリスクを同じ温度で渡す“背中”。背中を押すのに力はいらない、重心を渡せばいいと知っている人だ。

里見は場の温度を一段下げる“微笑み”で、専門語を生活語に訳す役目を引き受ける。三人が並ぶだけで、儀式は「形」から「意味」に反転する。もちろん異論もある。呼称や敬語の微差に引っかかる読者、善人過多だと感じる読者、超常要素の必然性に疑問を持つ読者。私も一部は頷くが、結局この物語の焦点は距離の取り方にある。
弔いの現場は、正しさだけでは動かない。踏み込み過ぎない勇気、引き過ぎない勇気。その往復の倫理が、読者の体験にも移植される。

総評「おすすめの要点と私の結論」

読了してまず残ったのは、過剰な光や音ではなく、抑制の効いた静けさだった。大仰なカタルシスを避けながら、頁の余白で感情を反射させる設計に、私ははっきりと価値を見た。ここで、この作品を私が勧めたい理由を3つだけ挙げて締める。

この本のお勧めポイント

① 「泣かせ」に依存しない編集の巧さ:
花の色、遺影の角度、沈黙の長さといった微細な所作の連鎖で記憶を整える。涙は目的ではなく副作用として落ちる。

② 現実の段取り × 微かな感受性の均衡:
職能倫理に支えられた現場のリアリティが、霊的設定を補助線へと矯正する。二本のレールが同じ温度で走る稀有さ。連作短編の構えで呼吸の置き場が多く、一気読みもしやすい。

③ 「距離感」の倫理が最後までぶれない:
美空=耳、漆原=背中、里見=微笑みという配置が効き、言葉の温度と間合いが物語を引き締める。

別れは線ではなく点。この小説は、その点に触れる姿勢を、美談にも残酷にも逃げずに描ききる。静かなものに強さを求める読者には、長く残る一冊だと私は思う。

続きについても一言だけ。
シリーズ第2作『ほどなく、お別れです それぞれの灯火』がある。同じ坂東会館の面々が、それぞれの“灯り”に手をかざすように、別れの場で見落としがちな光を拾い上げていくと聞く。無印で整えられた距離感の倫理が、次巻ではどこまで深く沈むのか。私は、この静けさの先を確かめたくなった。今夜、灯りを落として、二冊目に手を伸ばす予定だ。

書籍・著者情報

署名:ほどなく、お別れです
著者:長月天音 ながつき あまね
職業:小説家
著者情報:1977年、新潟県生まれ。大正大学文学部で日本語・日本文学を学ぶ。大学在学中に葬儀場で働いた体験があり、のちに夫の長期闘病と死別を経て、その現場感覚と喪失の実感を物語へ編み直した。2018年、『ほどなく、お別れです』で第19回小学館文庫小説賞を受賞して作家デビュー。飲食業での勤務経験など、生活に近い仕事の視点が作風の土台にある。
出版社:小学館(小学館文庫)
出版日:文庫 2022年7月6日
ページ数:288ページ(文庫)
読了目安時間:約5~6時間

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