こんな方におすすめ
- 極力ネタバレ無しで本作の魅力に触れてみたい
- デジタル社会における自己と倫理の関係に関心がある
- アルゴリズムと人間性の関係を思索したい

SNSを使っていて、なんかモヤっとすることありませんか?
通知に踊らされる指先、タイムラインに吸い込まれる思考、誰かの「いいね」に一喜一憂する自分。そんなふうに、気づけばSNSが自分の「感情の司令塔」みたいになっていませんか?
戸谷氏の『SNSの哲学』は、その"モヤモヤ"を丁寧にすくいあげ、私たちに「今この瞬間の私って誰?」という静かな問いを投げかけてきます。哲学書と聞いて身構えたあなた、心配はいりません。本書は難解な専門用語を振りかざすのではなく、日常的なSNSの風景を切り取りながら、その背後にある欲望や関係性、そして社会的な構造に光を当てていきます。
記事の内容一覧
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署名:「SNSの哲学」リアルとオンラインのあいだ
著者:戸谷 洋志 とや ひろし
職業:立命館大学大学院 先端総合学術研究科 准教授
著者情報:専門は現代ドイツ哲学と技術哲学で、特にハイデガーやハンス・ヨナスの思想を軸に、テクノロジーと人間の関係を問い直す研究を続けている。哲学を抽象的な理論にとどめず、現代社会の問題と結びつけて考える視点に定評があり、一般読者向けの著作も積極的に発表している。
出版社:創元社
出版日:2023年4月
ページ数:144ページ
読了目安時間:約2~3時間
本の概要
なぜ私たちは「いいね」を渇望するのか?
他人の「いいね」が、なぜこんなにも心を左右するのか?これは単なる気分の問題ではなく、自己の成り立ちに関わる深いテーマです。SNSの世界では、承認は目に見える数値として降ってきます。フォロワー数、リアクション数、コメント。数の大小が、自分という存在の価値を測る物差しのように感じられてくる。
だけど、ここで考えたいのは「その物差し、誰が作ったの?」ということ。戸谷氏はドイツ哲学の古典を引きながら、自己という存在がそもそも他者との関係の中でしか成立しないことを説きます。
つまり、「他人の視線」こそが自己を形成する起点であり、SNSはその関係性を極端なまでに可視化してしまう場なのです。そこに依存するようになれば、自分を表現しているつもりが、いつの間にか「他人が望む自分」を演じてしまっている。そして何より厄介なのは、それが案外、心地よくすらあるということです。

SNSと時間 スクロールし続ける“今”という罠
SNSに溶け込んだ時間は、カレンダーも時計も無視して流れ続ける“今”の奔流です。過去の投稿が突如バズって再浮上することもあれば、昨日のポストが瞬時に埋もれて消えることもある。
「時間って、直線じゃなかったっけ?」と戸惑う人もいるでしょう。戸谷氏はこのSNS独特の時間構造に切り込み、「過去と未来が混ざった“永遠の現在”」に私たちがどれほど没入しているかを描き出します。
それは便利さと引き換えに、私たちの時間感覚そのものを変質させています。日常の隙間時間を食いつぶしながら、「なんとなく不安でスマホを見る」という習慣を、私たちはすでに埋め込まれてしまっているのかもしれません。
言葉の暴走 つぶやきはなぜ燃えるのか?
SNSは、誰でもメディアになれる時代の象徴です。でもその代償として、たった一言のつぶやきが予想もしない形で燃え上がる──。そんな現象も日常茶飯事になっています。「つぶやき」には本来、強制力も義務もないはずです。ただの呟き、のはずなのに。
戸谷氏はここで、哲学者ウィトゲンシュタインの言語ゲームの概念を引き合いに出し、「言葉は文脈の中で意味を持つ」という当たり前のようでいて難しい事実を掘り起こします。SNSの世界では、文脈が断片化され、言葉だけが独り歩きします。そこに想像力の欠如と、匿名性が加わると、批判や誤解が瞬時に広がる構造が生まれる。わかっていても止められないのがSNSの怖さでもあり、中毒性です。

アルゴリズムと偶然 見せられている“自由”
「たまたま流れてきた投稿が刺さった」──その“偶然”も、実は偶然ではないかもしれない。SNSで私たちが見るコンテンツは、アルゴリズムによって選ばれています。興味がありそうなものだけを提示される仕組みは、一見するとユーザーフレンドリーですが、見方を変えれば“心地よい泡”に閉じ込められているようなもの。戸谷氏は、アルゴリズムが「偶然性を排除する力学」であることを鋭く突きます。
私たちは何かを“見つけている”のではなく、“見せられている”可能性を常に孕んでいる。このパーソナライズされた快適さの中で、異質な他者や価値観と出会う機会は減っていく。それはつまり、思考の幅そのものが静かに縮小していくことと同義なのかもしれません。
ハッシュタグの連帯は幻想か希望か?
SNSの興味深い点は、顔も名前も知らない誰かと感情や意志を共有できることにあります。たとえば近年の社会運動の多くは、ネット上の呼びかけから大きな広がりを見せたという事実があります。それはたしかに、新しい連帯の可能性を感じさせる瞬間でした。しかし同時に、それらの連帯が一過性の盛り上がりで終わってしまうこともまた多い。戸谷氏はここで、政治哲学の観点から「連帯とは何か」を再定義します。
連帯とは、同じタグをつけることでも、同じ怒りを持つことでもない。違いを超えて対話し、目的を共有し、責任を分かち合うという、もっと“手間のかかるプロセス”だと著者は説きます。つまり、SNS的な即時性やテンションの高さとは、本質的に相性が悪い。だからこそ私たちは、「ハッシュタグで変わる社会」と「現実に根ざした対話と行動」の距離を自覚する必要があるのです。
まとめ「SNSとどう付き合う? 哲学がくれた静かな問い」
本書は、「SNSは悪だ」と決めつける本ではありません。
むしろ、使う・離れる・休む、そのすべての選択肢に意味があることを、読者にそっと教えてくれます。私たちが今立っているのは、リアルとオンラインのちょうど境界線上。
『SNSの哲学』は、その揺らぎの真ん中で、「あなたは誰としてそこにいるのか?」と優しく問いかけてくる。この本を読んで変わるのは、SNSではありません。それを眺める自分自身のまなざしです。
書籍・著者情報/本の目次
署名:「SNSの哲学」リアルとオンラインのあいだ
著者:戸谷 洋志 とや ひろし
職業:立命館大学大学院 先端総合学術研究科 准教授
著者情報:専門は現代ドイツ哲学と技術哲学で、特にハイデガーやハンス・ヨナスの思想を軸に、テクノロジーと人間の関係を問い直す研究を続けている。哲学を抽象的な理論にとどめず、現代社会の問題と結びつけて考える視点に定評があり、一般読者向けの著作も積極的に発表している。
出版社:創元社
出版日:2023年4月
ページ数:144ページ
読了目安時間:約2~3時間
目次:
1章 なぜSNSで承認されたいのか?
2章 SNSにはどんな時間が流れているのか?
3章 SNSではどんな言葉が交わされているのか?
4章 SNSに偶然はあるのか?
5章 SNSで人は連帯できるのか?
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